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『 師は一人、あとは皆兄弟 』

​マタイによる福音書23章1節〜12節

 教会では、神と人との関係を「縦の関係」、人と人との関係を「横の関係」と呼んだりします。これは、今日のテーマである「師は一人、あとは皆兄弟」を表す表現であると思います。しかしその関係は、もろく崩れやすいものであると思わされます。兄弟関係にも上下関係が生まれるのです。その原因はどこにあるのでしょう。

 福沢諭吉は、『学問のすすめ』の序文で、「『天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず』と言えり。…されども今、広くこの人間世界を見渡すに、…貴人もあり、下人もありて、その有様雲と泥との相違あるに似たるはなんぞや。その次第はなはだ明らかなり。…賢人と愚人との別は学ぶと学ばざるとによりてできるものなり。」と語っています。確かに、イエス様の時代もそうでした。律法を知っているかどうか。それが、当時、ユダヤ教社会での地位を決めていたのです。

 しかし、イエス様は、「師は一人、あとは皆兄弟」「あなたがたの教師はキリスト一人だけである」と言われます。そこに、不平等を生む種があるのです。キリストをキリストとせず、キリスト以外のものを師としていく。それが、兄弟の中に不平等を、差別を生む原因なのです。キリストをキリストとする。すなわち、縦のつながりをしっかり結んでいくことが重要なのです。縦糸がしっかり張られていないところでは、横糸を張ることもできません。私たちの縦糸はどうなっているでしょう。しっかり張られているでしょうか。

(村田悦牧師)

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